2014年06月08日

名取洋之助『写真の読みかた』

岡村昭彦文庫に、名取洋之助『写真の読みかた』岩波書店、1964年8月10日第4刷発行【1963年】があります。
岡村昭彦は、1965年4月、南ヴェトナム解放民族戦線のファット副議長に会うため、解放区入りを決行。携行した3冊の本の中の1冊が『写真の読みかた』です(岡村昭彦『続南ヴェトナム戦争従軍記』1966年、第1刷発行、p.107)。
次のような書込みがあります。
赤鉛筆、定規を使っている点などを含め、岡村に典型的な書き込みです。
p.176 「国際報道工芸(1939-45年)」という見出しの頭に「×」。
p.178 「国際報道工芸は戦争の終結によって解散、それまで続いていた『NIPPON』も廃刊となった。」に傍線。6行ほど飛ばして、「次に掲載する手紙は珍しくも名取が自分で書いた手紙であるから全文を載せる」という文章の頭に「×」を振り、傍線を引いています。続く次に傍線。
「「甚ちゃん。しばらく。どうしている。あいたかったよ。いろいろ話を聞きたい。どう変わったか、ちょっとこわいが。ぼくが迎えに行けるとよいのだが、いま、いろいろごたごたしているので、使いの人に頼む。ごめん。この使いの人の社は、ぼくがちょっと関係しているところの人。聞けるなら、その社の人の話を聞いてやってください。東京へ着いたら連絡してくれよ。ぼくもわかればあいに行きたいが。ぼくの家、デンワ4(45)七三三二 岩波写真文庫(これが今のぼくの仕事の半分)デンワ(33)一〇二二、月、水、金。はやくあいたいよ。洋之助。」」

もう1か所あります。
p.91「いわゆる組写真」の「いわゆる」が、赤のボールペンで大きくチェックしてあります。
岡村は、「いわゆる」という言葉を嫌った。私が見た限り、岡村が「いわゆる」をチェックしているのは、知り合いなど岡村の関係者の本に多いようです。

比留間
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2011年06月24日

村上春樹『ノルウェイの森』に寄せて

・「ビートルズの歌詞は優しい」(岡村昭彦)
〜村上春樹『ノルウェイの森』に寄せて
 フランス在住のベトナム人映画監督トラン・アン・ユンによる映画『ノルウェイの森』(村上春樹)を観た。村上春樹と岡村昭彦の間には、ビートルズ理解の点でどこか共通する所があると思った。

2009年3月のAKIHIKOの会。開始前、出版クラブ1階のレストランで細野容子さんがこんな話を聞かせてくれた。
「岡村さんは大変な電話魔やったんよ。」岡村昭彦は受話器を置きっぱなしにして、長い間ビートルズの曲を流し続けた。そして細野さんに「ビートルズの歌詞は優しいだろう」と言ったという。
岡村昭彦は精神病棟改革(1982年7月〜)の時、病棟でビートルズを流そうと考えていた。上記の挿話はその時のことだろう。その改革には看護師だった細野容子さんも参加していた。
次は、病棟の精神科医、栗本藤基さんの『門番小僧、黙れ!と言われて……』(新葉社、1989)からの引用。
岡村の言葉―― 

ここにリズムを取り戻すのに、音楽は大変良いと思います。音楽のことを言ったら、栗本君が「そういえば、家の女房も朝六時からFMを聴いているな」と言った。奥さんは「音楽を聴いていると心がとても落ち着くんですよ」とおっしゃっていたが、私は昨日はビートルズの「ミッシェル」と「ヘイ・ジュード」を、三十分間リフレインで繰り返し流していけるように編集してみました。お琴とか民謡とか、みんなが参加して作っていくというのがコミュニティの考え方ですから。どなたか何人かが一緒に参加してやっていただければ、大変ありがたいと思っています。ジュードというおかっぱ頭の、世界の重荷を背負っているような女の子で、「ドント ビー アフレイド」と優しく語りかけている。「さあ、恐がらないで、自信をもって。いつも、お前、心が傷ついているけどさ」って。人の心を開いていくのにいい音楽だと思いますけど。[栗本 1989 :123]
 続けて栗本さんは次のように記している。
ふと、私は、三年前に自殺した山田君のことを思い出した。当時、私は芸術療法の一部門である模写療法ばかりに心を奪われていた。その時、彼は、朝から晩までビートルズを聞いていた。私には、それに共感する気持ちがなく、親にも看護婦にもなかった。山田君は『ジョン・レノンが死んだ』というメモを父親の手に渡して、二時間後、飛び降り自殺をしてしまった。
 その後、岡村の持ち込んだ「ヘイ・ジュード」を診察室で試しに聞いている時だった。一人の女性患者がにこにこして話しかけてきた。
−これを聞いていると、幻聴が聴こえてこないんです。
彼女はいつも一人で「バカ! バカ!」と怒鳴りながら歩いている。どうしてかと聞くと「ケネディを殺したのはお前だ! とジャックリーンが言ってくる」からと……。[栗本1989:125-126]


数年後の1987年、村上春樹が『ノルウェイの森』を刊行。その物語の終りに次の場面がある(1988年、250頁)。サナトリウムで自殺した直子のために僕とレイコさんが2人きりで葬式をする。
 
 レイコさんはビートルズに移り、『ノルウェイの森』を弾き、『イエスタデイ』を弾き、『ミシェル』を弾き、『サムシング』を弾き、『ヒア・カムズ・ザ・サン』を唄いながら弾き、『フール・オン・ザ・ヒル』を弾いた。僕はマッチ棒を七本並べた。
 「七曲」とレイコさんは言ってワインをすすり、煙草をふかした。「この人たちはたしかに人生の哀しみとか優しさとかいうものをよく知っているわね」  
 この人たち(原著では傍点)というのはもちろんジョン・レノンとポール・マッカートニー、それにジョージ・ハリソンのことだった。
 彼女は一息ついて煙草を消してからまたギターをとって『ペニー・レイン』を弾き、『ブラック・バード』を弾き、『ジュリア』を弾き、『六十四になったら』を弾き、『ノーホエア・マン』を弾き、『アンド・アイ・ラブ・ハー』を弾き、『ヘイ・ジュード』を弾いた。


 岡村昭彦も、村上春樹も、「人生の哀しみとか優しさとかいうものをよく知っている」人間(ひと)だからこそ、ビートルズをこんな風に聴くことができたのだろう。たぶん。
さらに加えていえば、岡村昭彦はアイルランドに惚れ込んで暮らしていたけど、そういえば、村上春樹の好きなアメリカ人作家って、アイルランド系が多いですね。
                
(静岡県立大学岡村昭彦文書研究会世話人 比留間洋一)
posted by no where boy at 16:08| Comment(1) | エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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